『小田部羊一氏トークショー〜ハイジからチエ、そしてマリオへ〜』
第1部:アニメーターとしての小田部さん
聞き手:藤田健次((株)ワンビリング E-SAKUGA企画制作)、應矢泰紀(京都国際マンガミュージアム)
2018.10.13(土)13:00〜
京都国際マンガミュージアムにて
当日は、1部が『じゃりン子チエ劇場版』を中心としたアニメ作画のお話、2部がゲーム業界での小田部さんの関わり方のお話を、合計3時間に渡ってお聞きました。第2部に関しては、ファミ通.comさんがとてもきれいにまとめておられます。
以下の文章に関してはテキストはほぼ書き起こしのままで、あまり整理しておりません。映像を見ながら話しているところもあり、わかりにくい部分をあります。ご了承ください。
※本文の無断転用・コピー等の一切はご遠慮ください。
藤田:今回小田部さんをお迎えするという企画をさせてもらいました。
小田部さんをお呼びしたのもやっぱりアニメのアーカイブっていう意味でいうと、原画とか物を作られてた歴史の話だとか、そういうのを残していかないといけない。
京都は漫画のアーカイブについては精華大学さん、ゲームのアーカイブについては立命館大学さん、と大学を中心に活動しています。 しかし、アニメ・アーカイブに関して活動している大学はないんですね、京都には。
そういった意味で、こういうのをきっかけに、今後、京都でもアニメのアーカイブということを皆さんで考えていただいて、こうした方がいいんちゃうか、ああした方がいいんちゃうかっていうのが盛り上がっていけば嬉しいかなということで、企画しました。
小田部さんはキャラクターデザイナーとしてとても有名な方ですが、小田部さんはアニメーターですから、今回はアニメーターさんとしての小田部さんが、どういった方だったかていうのをちょっと根掘り葉掘りお聞きできればと思っています。
應矢:小田部さん、早速質問なんですがこういう講演されるのは、関西でよくされるんですか?
小田部:関西は実はですね、21年くらいお世話になってましたので、それは仕事で京都に参りましたけれども、いわゆる講演会みたいなものは初めてです。
應矢:そうだったんですね。この度、こんなにたくさんのお客様に入っていただきましたけれども、今のご心境はどのような?
小田部:もう、びっくりしました。こんなにたくさんいらして下さって、どんな話ができるのか。でも藤田さんが色んなことを聞きだして下さると言いますので、それに沿ってお話したいと思います。
実は昨年ですね、私はこうやって生きているのが不思議なくらい大病をしてまして、6月から11月までほとんど5カ月入院生活でした。去年の今頃はまだベッドと車いすで、「そろそろ外の景色でも見てみますか」なんて言われながら車いすに乗せられて、看護師さんに押してもらいながら、僕は6月に入院したのに、季節は秋なんだなと、そこら辺に生えている咲いているコスモスを見て「ああ…」と言ったことを思い出しました。
おかげさまで京都までこられるなんてことができたんですけど、実はその入院した時に見舞って、僕を「大丈夫、治るから」って言ってくれた同僚である高畑勲って監督が亡くなってしまったんですね。それが一番ショックなことですけれども。
藤田:今日はそういう意味もあって、高畑さんと小田部さんがやった『じゃりン子チエ劇場版』の話を中心にちょっとお伺いしたいんですが、早速進めていきましょう。
『どうぶつ宝島』の波
藤田:まずは、小田部さんのアニメーターとしてのお仕事をちょっと振り返ってもらおうというので『どうぶつ宝島』の予告編を皆さんに見てもらおうと思います。 (『どうぶつ宝島』予告編の映像が流れる)
『どうぶつ宝島』と言えば「小田部さんの波の作画」と自分は認識してるんですけど、あの波をどういうふうに作られたかってのを色々お伺いできればと思います。
小田部:じつはこれは宝島というスチーブンソン原作の冒険小説がありますでしょう?それを動物だけでアニメーションにしてみないかという話があった。 その前にこの作品を見られた方っていうのはどれくらいいらっしゃるんでしょうか? (会場:手が挙がる)
應矢:ああ、ほとんどの方がご覧になってますね。若い方も見てる人いますね。
藤田:これが小田部さんが描かれた波です。白いところがすごい綺麗ですね。いや美しい。 僕これ何年も何年も見てるんですけど、いまだに白い波以外が頭に入ってこないんですよ。
今回バラバラの絵にして初めて紐にしがみついて振り回されるネズミのおしりのところが格好いいなと初めて気が付いた(笑)
これ小田部さん、この作画をやられる時のきっかけはどういうところから始まったんですか?昔はもっと波ってリアルな描き方でしたよね?
小田部:そうなんですよ。実はこれを監督したのは池田宏っていう人で、僕と同期入社。東映動画に入社した人物なんですけど、彼が監督した劇場第2作目ですね。それで、森康二さんっていう我々の大先輩である人が作画監督をされて、この準備段階で宮﨑駿と僕がだいたいのイメージ作りを3人でやったりしてたんですよ。
実は『どうぶつ宝島』ではご覧の通り、いわゆる海も一種の主人公であるわけですよ、自然現象でもあるんですけど。それで従来の東映動画の波の表現っていいますといわゆるとても面倒くさいと言いますか、キャラクターももちろん難しいんですけど自然現象の中でも特に水は難しいんですよ。いろんなうねりとか波がしら、しぶきとかそういうのでほとんど描き手がいない。 あるいはそれをきちんと描ける人がいないという時代だったんですよ。それで大塚康生っていう「ルパン三世」で有名な先輩が水の描き手だったんですね。そこで僕は『太陽の王子 ホルスの大冒険』という高畑監督作品で何故か水のシーンを担当させられちゃったわけですよ。
藤田:主人公が旅立つところですよね。
小田部:はい。自然現象は大変でしたね。時間もかかりましたし、形をどうつかまえていいのか分からなくて苦労した覚えがあります。
そんなことを知ってるもんですから監督の池田宏が誰でも多くの人が描けてなおかつスピード、短時間で。
藤田:波の作画を量産できるように。
小田部:そうですね。なおかつ、南方の水らしくっていう課題を与えられまして、小田部にひと月時間をやるって言われたんですね。
そんなことやっていいのかと思ったんですよ。それで僕はこれから波の資料を集めようと本屋や図書館にいったりしようとしてましたらね、なんとその監督がファイルを、写真それも水に関するものだけを集めた写真集をくれまして。
藤田:波だけに関わらず水の写真集ですか。
小田部:いろんなところから切り抜いて、新聞から広告から写真集までを切り抜いたやつを、僕にどさっとくれたんですよ。僕はビックリして。
藤田:当時、動画なんてそんななかなかないですからね。
小田部:本当は一番欲しかったのは動画ですけどね。そんなものなかなか手に入りませんし少なかったですからね。それで驚いたんです。僕はこれから研究しようと思ってたのに、演出家は既に用意していた。そのことに演出家っていうのは、自分で形とか物は作らないけれども、イメージを伝えるためにこういうものを用意しているのかとびっくりしました。
その池田宏っていうのは実は私をゲームの世界に呼んでくれた人で。
藤田:池田宏さんはアニメ業界のCG研究、教育、人材育成などに携わっている、色んな意味でアニメの歴史を語る上で重要な人物ですよね。
小田部:そのひと月っていうのが、なるほどよくひと月なんて出したなと思うんですけど、そのひと月で一生懸命波のスタイルとかを描き写したり見ているうちに楽しいんですよ。水ってこんなに面白いのかって。
それで瞬く間にひと月がたったんですけど、そこから何とか、単純にしてなおかつ水らしいっていう表現を作っていったんですけど、その時に僕が考えたのは、簡単っていうことはいくらでも繰り返しができる。じゃあ波のうねりを横に流せばうねっていきますよね。 だけどそれじゃあ、あまりにも単純だから白い波がしらをですね波紋とかの形を、波が横だったら波紋で奥行きを。
藤田:別の動きを加えることで、複雑化させる。
小田部:立体感もでますしね。そんなことで作ったんですね。
藤田:ある意味、波のキャラクターデザインをされたような形ですね。
小田部:まあ、そういうことですよね。色は二色で表現を目指しましたが、実は樽舟とか舟に波が当たった場合はやっぱり波がしらとか波紋ができますよね。その時は物と波との透明感とか、実際の影で色変えして表現してる。
小田部:さっきの映像で、樽の下に影ができましたでしょう。
藤田:あれが格好いいです!とっても。
小田部:あと波の影ですね。
藤田:すごく格好いいです。
小田部:せいぜい二色ぐらいにしか見えませんけど、もっとですね複雑になった時はどうかなと考えながら作ったんです。
実はこれがその後、非常に気に入られて、宮﨑駿なんかも自分の映画には必ずこういう波を使ってくれてましたね。あとテレビアニメーションですね。
藤田:日本のアニメの波はみんなこのスタイルになりましたね。
小田部:というのは、ひと月っていう時間が問題なんです。やっぱり何かを作るのにせいぜいひと月はないと駄目なんです。テレビアニメーションってのはどんどんスケジュールに追われますから、そんな時間がとれないんですよ。 だから新しい波を開発する時間がなくて、みんなこれに似たようなものになってましたね。それが40年ぐらい続いたんですよ。
藤田:今でも日本のアニメの波はこの波の表現の延長だと思うんです。なんだかんだで。これがどんどん量産化されていって、近代のアニメの波になってくると、ただ輪っかが移動するっていう単純化になっちゃいますよね。 これを見てると筆で描いたように白いのがすーっと流れると、動画の指示が大変だったんじゃないかなって。
小田部さんにすごい聞きたいのは、元々日本画をされていたじゃないですか。日本画ってやっぱり線、ストロークスだと思うんですけど。色トレスしているとはいえ、その線というよりかはすごく立体的なイメージで描かれていると思うんですけど。日本画からそういう風に転身するのは表現の中で難しくなかったのかなって。
小田部:実は学生で日本画科に入ったもんですから、日本画を覚ましたけれども、実は子供のころから漫画あるいは映画が大好きでした。 そしたら僕が入ったころの日本画っていうのは線で表現する。アニメーション界に入りましたらやはり鉛筆、日本画は筆と墨ですけど、鉛筆の線で表現するというのは同じ。線が一緒だったんですね。それで共通点を僕は一緒だなと思って嬉しかったんですけど。 ただ、実は、さきほど藤田さんが言いましたけど、今のはただ形でそれを送っているだけだとおっしゃいましたよね。
藤田:はい。
小田部:実はこれもよく見ると、単純そうだけれども枚数を使いました。というのは、その波紋の輪もどんどん変化しているんですね。そこをきちんとやらないと本当にいい波はできないのにやっぱり、スケジュールの関係で省略しちゃう人がいるんですよね。
藤田:ここは動画もかなりの技量がないと追っかけられないと思うんです。こういうすーっと消えていく。とってもきれいな波紋ですから。
小田部:もちろん原画の時にだいたい指定していましたので、動画の人はそれに合わせて。
藤田:ちなみに小田部さん、白い波のこの動きって写真とか見られたと思いますけど、写真は静止画じゃないですか。
動きでこれってういうのは、海をじーっとみて思いつくものなのか、なぜこのシルエットにいき着いたのか…
小田部:基本はやっぱり本物の観察です。と言いますのも、『太陽の王子ホルスの大冒険』の時にリアルな波を描いた時も、参考になるものは本当の海だったんですね。ですから夏の間なんか、みんなで海水浴に遊びにいったりしても、一生懸命波を見ていた。そういうことをしてました。
藤田:遠くを見つめるみたいな。じーっと見ている感じですか?
小田部:不思議だったのはある時、大学の工芸大の先生だったかな?やはりご一緒した時にこれを上映したときにね「小田部さん、これは琳派ですね」と言われた。琳派なんて意識してなかったんですよ。でもいつの間にか自分の中でそういう見てるもんですから。いつの間にか自分の中に取り入れてるんですね。波紋なんかもありますし、流れの線なんかももありますし、なるほどと思ったことがあります。
藤田:これ本当に綺麗で、今でもこの白い部分にしか目がいかないです(笑)
小田部:もうひとつこの色がグリーンということが気になりません?皆さん?
應矢:僕もそれが聞きたかった。空のブルーに対して海がすごい鮮やかなグリーンなんで、境界線っていう部分も気になるんですけど、自然とやっぱり主人公たちの方に目がいっちゃうんですよね。その中に立体感が前後にもあるし上下にもあるしっていうことに、すごくグリーンが映えてると思ったんですけど。
小田部:実はこれは僕はテストで形を描いたあと、セルを描いて仕上げの人から絵具を借りて勝手に塗ってたんですよ。
色んなブルーの波もありますし、深い色もありますから。 この波はですね、実は僕は第一次世界大戦が始まる前は台湾で産まれまして、その後、戦争に負けた後は日本に引き上げなくていけない。それでアメリカの貨物船で日本に帰された。その時に見た水がですね。ちょうど波立っている水の海の色がグリーンに見えたんです。たぶんグリーンのところもあったと思うんです。それが頭に残ってるもんですから、それを塗ってたんです。そしたら皆から緑は変だよと言われた。 バスクリンだと皆から嫌がらせされましたけど、でも僕は絶対緑でいきたいんだと主張して。これが通りまして。
藤田:非常にいい塩梅の緑色。これで絵になっていると思うんです。
小田部:温かみも感じますでしょう。たぶんここにドボンと落っこっても浮かびあがって死なない。
藤田:冷たくないですね。まさにバスクリンみたいな感じですよね。
あと、他のカットを見たとき波が、ほぼ緑の山で構成されている。 すーっとこういうところに薄っすらと手前には白いもの奥にはちょっと色のついたのがあって、ちょっとすっと入るんです。これは一枚絵だったら筆ですっと描くのでいいんですけど、アニメーションですから連続でこれを表現しなきゃいけない。もうね、自分のような作画フェチレベルになると、この右隅の小さい水しぶきがたまらんのです。「もうこれで良し!」って感じなんですけど(笑)